2017 Summer

「印象的な夏は?」と尋ねられると、

まだ生まれてもいないのに、

昭和20年8月などと答えたくなってしまう。

報道や人様の話を通じて

何度も言及されるのを知っているからだろうか。

あるいは、その印象深さに比べると、

自分が過ごした平和な夏のことの多くが、

さほど印象的なものとも思われなくなってくる。

実際多くの人は、

「社会的な印象」というよりも、

個人的経験に関わるこじつけで

夏の印象深さを決めることだって多いだろう。

そして、そこでも、やはり、

時間は、素人の思い込みによって、

見事に演出されている場合が多い。

ある業種の人たちが、

同業者の仕事に深い印象を受けるとする。

そして、それが、たまたま、

なんらかの観賞用の商品に関わったことであるとき、

作り手の感覚が、

そのまま、消費者の感覚に丸コピーされて、

ずいぶんこっけいな印象になることがある。

そんなわけで、

極端な話、

The Beatles の Sgt.Peppers を

聞いて人生が変わった!」というような、

変な素人の消費者が出てきたりする。

もちろん、自己顕示や自己演出に使われる

この程度の飾りが、

たいして問題になるわけもなく、

具体例なんぞ追求されることもなく、

話としてそのまま進行するから、

この類のとんでもなくこっけいな自己申告が

明らかになる場合はまれだが、

このパターンは、

知る人ぞ知る「お笑い」としては、

けっこう有名だ。

そして、一般の生活必需品のようなものよりも、

芸能商品等についての方が、

圧倒的にこの事例は多いと思う。

自分の行動や態度とは、

まったく縁のないような、

知名度のあるコンセプトの類で

自らを飾り付けたい人たちがあるし、

それが、そのまま、

仲間内だけでは通用するような場合もある。

「あいつって、やっぱりB型だからさぁ…」

のレベルの考察だの尺度などが、

平気でまかり通っているような場面も、

あえて指摘の言葉を羅列するよりも、

密かなお笑い向きなのかもしれない。

多くの人たちは、

テレビ放送等、

ごく限定的な業界なり形態なりが

撒き散らした、表現やコンセプト等が、

多くの丸コピーの人たちの

言葉に対する心がけさえ汚染していることは、

ほとんど気になることがない。

「どうして、そこの<ツッコミ>を

こっちに<振る>わけ?」

というような表現のレベルは、

多くの人たちにとって、

<通じればよいのだ。>ということで、

まったく違和感のないものであるかのようだ。

人が集まった場所で、簡単に耳にする

多くの人たちのうるさいおしゃべりは、

まるで、テレビのバラエティ番組の

芸人たちの仕事のノリのようで、

私には、その意味が、その価値が、

まったくわからないことが多々ある。

聞いていて、少しでも意味について

考えようと思った瞬間、

とても嫌な冷や汗が出てきそうなおしゃべりは、

ほんとにそこらじゅうにある。

言葉使いの問題だとか、

日本語の乱れだとか、

そんなことではなくても、

もっともっと寒気のするものを感じるのだ。

ごく限られた空間の、

ごく限られた段取りだののノリが、

どうして、まるで、

ある世代や雰囲気の代表的なノリであるかのように、

使われるのか、

私には、まったく、分からないのだ。

テレビ放送の黎明期に、

一億総白痴」というような表現があったそうだが、

あながち間違いではなかったのではないだろうか?

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